Screen
パンデミックが起きてから、私は孤立とニューノーマル(新しい日常)について考えてきた。コロナがもたらした日常に心身共に影響を受け、しばしば肉体的にも精神的にも分裂した気持ちがした。他者や社会と繋がることが大事なことはわかっていても、それが自分が望んでのことなのか、押し付けられたものなのか、曖昧でポジティブに捉えることができないでいた。日々行われるオンラインミーティングからは集団としての一体感は感じられず、どんどん孤独感は強いものにしていった。自分の声が反響して聞こえたり、自分の顔も含めた全員が自分に向いている画面に向かい話すのは、居心地の悪いものだ。こういった戸惑いの中、存在が分裂することとはどういうことなのか、同時にここにもそこにもいる或いはここにもそこにもいない状況とはどういうことなのか、私は思考を巡らしたが、必ずしもそれは気分の良いことではなかった。
「ベトナムで凧揚げがしたい」思いと、「ネット上のコミュニケーションから受ける不安」が交錯。こういった気持ちを反映し、このオンラインでの滞在制作のプロジェクトでは凧職人のグィエン・ヴァン・クィエン氏に目に見立てた1対の凧の制作と、それを揚げることを依頼した。映像製作におけるブルースクリーンの歴史を見ていたとき、青は人を別の場所に転送する装置だと思った。自分を別の場所に挿入すること。それはまるで、私の欲望を満たすために誰かに依頼しているようであると同時に、その誰かにも私の欲望に参加してもらっているようだ。こういった考えとオンラインで人々をつなぐ視線がどういった訳か絡みあっていった。凧の糸もまた、遠く離れた物と物理的につながり、人の存在を確実なものにする。この他者とのつながりと、そのつながりによって自分の存在を根づかせることが、作品のコンセプトに反映されている。それは私の代わりに私の目が空からベトナムを眺めることかもしれない。
Screen、Blue Project、ベトナム美術大学、MAP 2020、Heritage Space企画、2020年
グィエン・ヴァン・クィエン氏が自宅の庭で竹を削っている様子
Screen、Blue Project、ベトナム美術大学、MAP 2020、Heritage Space企画、2020年