空の目
展示風景、「第19回アーティスト・イン・レジデンスの成果展ダイアローグ――交信する身体」 Artist Cafe Fukuoka、福岡アジア美術館主催
写真:川崎一徳
九州にはいくつか特徴的な凧が存在する。壱岐島にある鬼凧、長崎のハタは知られていますが、「福岡の凧」はどんなものだろう。そんなところからスタートしたリサーチは、人との出会いに助けられながら、会話に出てくるエピソードに身を委ねる形でさまざまな方向へ進んでいった。自分の創作にこれらがどのような影響を与えるのか、凧が舞い上がる時と同じように未知数でもあり、楽しみだ。
写真:川崎一徳
写真:川崎一徳
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写真:川崎一徳
写真:川崎一徳
写真:川崎一徳
写真:川崎一徳
ステートメント
目の形をした凧を作りたい。そんな思いと共に福岡へ来ました。目は、よく私の作品に登場するモチーフです。ベトナムの職人と制作をした時は、一対の目で視線を表現し、他者との関係からくる不安や難しさをユーモラスに見せました。
凧揚げも、体験としてとても魅力あるものです。糸で繋がれているのに感じる開放感を感じたり、凧が遠くにあるのにもかかわらずとても近くに感じたりします。これは遠くにあっても近くに感じられる視線と同様です。凧を制作につかう意義をさらに探求するために、滞在制作を「凧と人との関係」を熟考する時間に充てました。
福岡市で凧を探していると、すぐに伝統的なものは存在しないことがわかりました。どうしてそうなのか。そう考えていると、詩人で新羅凧(しらぎだこ)を創作されていた鈴木召平さんの記事を見つけました。鈴木さんはこの一般的には「朝鮮凧・韓国凧」と呼ばれるものを、40代(1970年代前後)になってから、日本統治下の韓国の釜山で過ごした子供の頃を思いながら凧を創作し始めます。鈴木さんの凧はご自身の個人的なストーリーを反映し、育った土地に思いを馳せる一方で、複雑な二国間の関係も影を落とします。
まず、鈴木さんの凧を販売し、記事を書いた方のいるお店を訪ねることにしました。このお店で、鈴木さんの凧をたくさん所有し、何度も一緒に凧を飛ばしたことのある鈴木さんの親友を紹介されます。次に、この方に会いに伺うと、鈴木さんから凧の作り方を習っていた凧名人に繋いでいただきました。事前にそうしようと思っていた訳ではありませんが、リサーチは、出会いが次の出会いを生む形で進んでいきました。この鈴木さんのことを少しずつ知っていく流れ自体も面白く、鈴木さんを知っていく過程を人に委ねることで、私の関心はさまざまな方向へ広がっていきました。あたかも空に泳ぐ凧のように。
並行して、九州のさまざまな地域に存在する凧の工房を訪れました。(壱岐、長崎、平戸、北九州)凧の作り方について伺い、数多くの凧を拝見することができました。
かつて、凧は玩具として子どもに人気でしたが、今では土地のストーリーを伝える地方の土産物となり、場所によっては土地のマスコットのようになっているところもあります。凧は飛ぶことを忘れてしまったのかもしれません。あるいは、頭の中で飛ばしていることを想像するべきなのかもしれません。また、凧の世界の高齢化も深刻で、特別な技術を要する凧をつくれる職人の減少は否めません。紙や竹といった関連産業の縮小も手伝い、素材の調達でさえ難しくなってきた工房もあります。凧の運命は職人さんの熱い思いに委ねられているようです。
今、滞在が終わりに近づく中、周りのサポートを得ながら凧をつくっています。さまざまな制作方法を実験し、凧のことを日夜問わず考える日々です。主要作品は一対の凧を二人で飛ばすもので、二人一組になり目を空につくることもできます。揚げる人たちと作品の見え方(あるいは視線)を風に委ねるのは、今回の滞在体験を反映しているようです。
写真:川崎一徳
写真:川崎一徳
写真:川崎一徳